TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


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12月31日〜1月6日まで、日本へ帰国する為、「上海の日々」はお休みします。

2000年12月6日(水) 日中交流
1年間の留学生活も間もなく終わり、来年の2月には日本の大学へ帰る。大学に入り、ある友人との出会いを機に中国に興味を持ち始め、後はただただ中国に惹かれていった。中国に興味を持ち始めたあの時からちょうど3年が過ぎようとしている。この3年間、大学の専門とは関係のない中国の道をひたすら歩んできた。いつのまにか留学を決意するまでになり、実際こうして上海の大学に留学し、間もなくその留学期間も終わろうとしている。中国へ来て、日本語を勉強している中国人と接すると、彼らも何かしら日本に縁を持つような人物と出会い、それを機に日本語を始めるみたいだ。「縁」というのは本当に不思議なものだと思う。中国人・日本人に限らず、人と出会い交流する中で学ぶ物の価値というのは何も変えがたい。もし中国に興味を持っていなかったら今のこの生活は存在していないだろうから。上海へ来て以来、できるだけ多くの中国人と出会いお互いに信頼関係を築こうと努力してきた。日中交流という言葉は硬い感じがするけれど、中国人と出会い、彼らの考え方や文化・習慣を理解すれば、それで十分交流になっていると思う。一旦築いた信頼関係は、そう簡単には崩れないので、来年日本へ帰国してからも永遠に貴重な財産になることだろう。

2000年12月10日(日) ルームメイトの韓国人
ルームメイトの韓国人(26歳)が来年の1月31日で韓国に帰ると告げてきた。彼は、来年の3月には韓国の大学に戻るらしい。振り返ると、彼が8月13日にやって来て以来、約4ヶ月間一緒に生活してきた。最初は、2人暮らしはどうなることやらと不安でいっぱいだった。彼の場合、夜の10時に御飯を食べだしたり、授業には行かず部屋で勉強したりと、かなりのマイペースだった。マイペースの生活を送っているのは、もしかすると僕も同じなのかもしれない。1日中、お互い部屋にいる時間が長いが狭い空間の中で、ほとんど会話も無く自分のことをやっている。案外、こういう風に干渉しないルームメイトとの生活の方が、ストレスもたまらずうまくやっていけるのかもしれない。とりわけ仲が良いわけでも無かったが、帰国を告げられて、急に寂しく感じるのはなぜだろう?韓国という国が彼との生活を通して身近に感じる事ができたのは大きな収穫であっただろう。

2000年12月11日(月) クリスマス
上海は昨日までの暖かさとは変わって、また少しずつ、寒くなりつつある。上海は今、クリスマスムード。デパートに入ると、クリスマスソングが流れていて、内装も大きなツリーが施されていてクリスマス一色。先日、中国人の友人にクリスマスを中国人はどのように過ごすのか聞いてみた。クリスマスカードを送ったりするのは、若い人が多く、特に、きちんとした昔からある習慣ではないらしい。やはり日本と同じみたいだ。正月に関して言うと、日本では1月1日を元旦として盛大に祝うが、中国の正月は日本でいう旧正月、今度は1月24日が新年になる。つまり1月23日が大晦日。中国人にとって、1年に1回の最も伝統的で重んじられている大切な祝日だ。

2000年12月12日(火) HSK
次の日曜日、中国語の検定試験「HSK」を受けるので、その勉強をしようと問題集を買ったが、まだ手をつけていない。HSKは中国国家認定の中国語の試験で、先日受けた日本中国語検定協会が行う「中国語検定」とは別のもの。僕はというとそもそもHSKを受ける気はなかった。中国に留学している外国人が当たり前のようにHSKを受ているのを見て、一種の疑問さえ抱いていた。別に中国語は僕の専門ではないし、そこそこ交流ができるほど中国語を話せればいい、と考えていた。しかし、何を思ったのか日本に帰ったら受ける事もないだろうと思い、一応受けておこうと気持ちが変わってしまった。外国人が中国の大学で中国人と共に本科の授業を受けるにはHSKの成績が一定のレベルに達していないとだめだ。12月17日のHSK試験は、中国に留学しているかなりの数の外国人留学生と中国の少数民族が受験する。

2000年12月13日(水) 中国のサービス
交通大学の中の喫茶店で中国人の友人と夕食をとった。注文をしたのは、魚料理と野菜の炒め物にスープ。あまり脂っこくしないでということと塩辛くしないでと言っていたにも関わらず、すごく塩辛に調理されて出てきた。まあ、仕方がないと思っていたけれど、中国人の友人はこれを許さなかった。店員を呼びつけて、辛すぎると文句を言って、作り直させた。その時の彼の態度は実に傲慢で荒っぽくも見えた。しかし彼は次のように教えてくれた。「本当に客の注文に耳を傾けていればこんなに2度手間をかけずにすむのに…。」そして、「中国に欠けているサービスの精神を彼らに分からせるにはこうするしかないのだ」と。そういえば、よく中国のレストランで客が店員に声を上げているのを見るが、なにもわがままな客ではなかったのだ。別の上海人の友人が教えてくれたことだが、数年前の上海では皿を客に投げるように音を立ててテーブルに置いていたらしい。今は昔に比べると大分良くなったものだと。日本の物差しで中国を見てはいけない。10年後の中国のサービスは、きっと今よりも良くなっているだろうから。

2000年12月14日(木) 上海で病気・診療
昨日からなかなか風邪が治らず、今日の朝起きると喉がムチャクチャ痛い。仕方がないので、病院に行く事に。いつものWorld Medical Centers Shanghaiに行った。海外ほとんどの保険会社と提携しているこの病院は、キャッシュレスで治療を受ける事ができる外国人専用の医療施設。今日、診察してくれたのはアメリカ人の先生。通訳の人を呼ぶのかと思いきや、何とこの先生は中国語を話し始めた。「アレルギーはありますか?」など中国語の医療用語もよく知っている。普通、欧米人の先生だと英語で通して、中国語は話せないと思っていたので、驚いてしまった。中国で風邪を引くと、日本で風邪を引く以上に治りにくいので、注意が必要だ。

2000年12月15日(金)
今日、機会があって上海のある会社の社長と話をした。日本の会社ともビジネスをしていて、流暢に日本語を話す。僕がもうすぐ日本に帰国する事を伝えると、彼は今後の僕の予定を尋ねてきた。僕は素直にいろいろと今後の日本の大学に戻ってからの予定や自分の夢を伝えた。メディア関係で働く事や将来はネットビジネスもすることなど。彼は、話を聞いた後、「日本人は実によく物事を考えている」と言った。一昔前の中国だと、ほとんどの人が国営企業で働いていて、その日が平穏に終わればいい、別に将来はどうなろうが、あまり関心はない、といった感じだったらしい。だから社長のそういう4,50歳の世代の大部分の人たちは、あまり仕事や将来について考えない。ところが、今の若い世代の中国人は違う。中国の大学生の大部分が外資系企業で働くことを希望し、それぞれが自分の能力を最大限に生かそうとする。いい仕事につけばいい将来が約束されて、その為に勉強するといった感じだ。自分のやり方で将来はどうにでもできる。そういう若い世代の中国人と彼らの両親の世代では考え方が大きく異なるため、親子であってもあまり理解し合えないことがあるらしい。何はともあれ、中国の将来はいろいろな意味で、今の若い中国人の力量にかかっているのは事実だ。

2000年12月20日(水) 中国人の恋愛
いつも見る光景で、見慣れてしまった光景、そうそれは暗闇にいる中国人学生カップルの姿だ。大学の外で食事をして、門を入り、留学生寮に通じる狭い路地で、いつものように中国人カップルが抱き合っていた。日本人はこれを見て何を思うのだろう。これを見ると中国の現状が分かる。中国人の友人が次のように説明してくれた。
(1)中国人の学生はアルバイトをしてホテルに行くようなそういうお金は持っていない。つまり経済の問題。
(2)中国は日本ほど開放的ではない。
いつも冗談半分で見つめて話のネタにしていた自分だった。日本人は中国人を見るときに時々その表面的な部分だけしか見ていないような気がする。そうじゃなくて普通の生活から読み取れる、感じ取れるもっと奥に潜む問題にも気づく必要があるのだろう。

2000年12月21日(木)
昨日、スゴイ上海人に出会った。交通大学の学生で、日本語・韓国語・英語を堪能に話す人だ。寮の部屋にいた時に、ルームメイトの韓国人が彼を連れて、部屋に入ってきた。ちょうどその時、僕の中国人の友達も部屋にいた。ここからが、すごく不思議な体験の始まりだ。彼はまず、僕に流暢な日本語で話しかけてきた。自己紹介が終わると、僕のそばにいた中国人の友達が彼に中国語で質問を始めた。どうやってそんなに日本語をマスターしたのか。そして、最後は僕のルームメイトと韓国語で会話を開始。もちろん韓国人のルームメイトと彼が何を話しているのかは、分からない。奇妙というか不思議というかそういう感覚だった。今日の夕方、彼から1通のe-mailが来ていた。e-mailの中で、彼は日本語・韓国語を独学で学んだ事、そして、日本語検定1級を持っていて、日本に行きたいけど、家が貧しいのでほぼ不可能なこと、そんな中、香港の大学院への国費留学が決まり、将来は香港でお金を稼いで、是非日本に行きたいことなどが書いてあった。

2000年12月23日(土) 中国人の恋愛
20日の日記に対して、反応のメールが来ていたので紹介しよう。いつも、HP楽しく読ませてもらってます。ところで一昨日位に書いてあった路地の中国人カップルを見たんだけど、 それについては少し違う考えがあるから書いてみるよ。
(1.)中国人の学生はアルバイトをしてホテルに行くようなそういうお金は持っていない。つまり経済の問題。 別にお金が無いから、路地で抱き合ってるんじゃないと思うよ。 多分一番の理由は、ただ抱き合いたいから。 日本でも道で抱き合ったりしてる人もたくさんいるけど、別にお金が無いからじゃない。 しかも、交通大学は上海人が多いでしょ。結構、彼女と旅行とか行って、一緒に寝たりするらしい。 まあ、日本人と比べると、経済的には苦しい面も有るけど、路地で抱き合ってる事から、中国人の 経済的問題には及ばないと思う。
(2.)中国は日本ほど開放的ではない。 これも何とも言い難いと思う。中国人の寮は男女別でしょ。でも、自分の部屋に彼女を連れてきて、 一緒に寝たりもしてるらしいよ。たまに4人部屋が8人になったりするってんだから、結構なもんで、それに中国人の彼女のいる人の話とか、こういう方面にいろいろ聞いてみても、中国人が日本人と 比べて開放的じゃないとは聞いたことがない。皆それなりに興味も体験もある。 ただ日本みたいなコギャルはいなそう。でもアルバイトで小姐をして以来、すっかり生活の変わってしまう、 大学生もいるみたいだよ。

2000年12月27日(水)
日本の場合、クリスマスが終われば、街中のデコレーションは新年を迎える飾り付けへと一斉に変わるが、上海では、クリスマスが過ぎても、デパートの飾りはなおクリスマスのまま。中国は元旦よりも春節(旧正月)を盛大に祝うので、別にゆっくりでいいのだろうか?今日、上海人の友人が春節に関わる面白い話を聞かせてくれた。街頭でマントウや油条(油で揚げたパン)などの食べ物を売っている人は、ほとんどが上海以外の外地から来た人たち。上海人はこういう仕事は好まないらしい。来年の1月下旬、春節(旧正月)になると、普段はマントウやトウモロコシやらを売っているこれらの外地の人たちも、自分たちの故郷へ里帰りするので、この商売をする人が一気にいなくなってしまう。上海は意外と外地の人の恩恵に授かっているということを忘れてはいけない、上海人の友人はそう話を結んだ。

2000年12月29日(金) 上海の日本人
夜、大学の外にあるローソンに行った。上海には日本のようにたくさんのローソンがある。ローソンのパンは日本と同じ味付けで、おいしいので、明日の朝にでも食べようと買って、レジに並んだ。時間は夜10時前、レジでお金を払っていると、横から中国人が割り込んできた。ちょうどその時、後ろから「お前、ぶっ殺すぞ!!」という日本語が聞こえてきた。いきなり日本語が聞こえてきたので、ビックリして後ろを振り返ると、中年のオヤジが立っていた。日本人だ。割り込みした中国人が許せなかったのだろう。日本人の中年オヤジの口からは酒の匂いがプンプン。酔っ払っているのだろう。

上海にはホントに多くの日本人がいる。若い人から高齢の人まで。上海の街かどで出会う日本人を見て、考えさせられることもある。

2000年12月30日(土)
中国人は日常会話の中で、頻繁に成語を使う。成語は日本でも故事成語として、国語の時間に学習するが、中国のその量は比べ物にならないくらい多い。昨日、偶然上海人の大学生の女の子と話をしていて、成語が話題になった。彼女曰く、小学生の時から毎日数個ずつ、新しい成語を覚えなければならず、あの時は、本当に大変で、なぜこんな物を勉強しないといけないのだろう?と思っていたらしい。中国人の学習する成語の量は数にして、数千にもなるらしい。だけど、今考えると、文章を書くとき、たった4つの漢字で、多くの事を説明できる、とても便利なものだと、彼女は成語を学んだ価値を教えてくれた。中国人は数千もの成語を理解している人もいれば、たった数個しか理解していない人もいるらしい。やはり教育は大切なのだろう。

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