TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


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2000年4月5日(水) 上海に到着
2:30に上海浦東国際空港に到着。交通大学留学センターの職員の方が迎えに来てくれていて、一緒にタクシーで大学へ向かう。大学で手続きを済ませ、簡単な中国語のテストを受ける。交通大学は街のど真ん中にあるので、街にも近く、生活物資を調達したり、食事をするのも、全然不自由をしない。桃李苑(タオリーユエン)という国際寮の6階に住む事になった。2人部屋で、ルームメイトともすぐ仲良しになった。

2000年4月6日(木) インターネット
8:10に事務室へ行き、先生から教科書を渡されて、8:30から中国語の授業に参加。授業は8:30〜10:00と10:20〜11:50のそれぞれ90分。ミッチリと授業があって集中力を持たせるのも大変なくらいだ。昼は大学内の食堂で同じクラスの日本人と食事をする。13:00から居留証発行のため、衛生局に行くが、血液の再検査を受ける事になり200元(大体2800円)を払う羽目に。夕方、1人でインターネットのプロバイダ契約に街の方まで行く。因みにインターネットの接続料は1ヶ月、27時間迄で100元(大体1400円)。とりあえず3ヶ月間の契約をした。

2000年4月7日(金) 上海のケンタッキー
午前中は普通に中国語の授業を受けて、午後は授業料を払うために、中国銀行に行く。銀行のATMから日本円で約10万円を下ろして、そのまま大学へ支払いに行った。
夕飯はケンタッキーで食べる。ケンタッキーは中国語で”肯徳基”(ケンダージー)と書く。
上海人は鶏肉が大好きなので、”肯徳基”はいたるところにある。日本であるセットが大体20元(大体260円)。こちらの生活に慣れると、この値段が高く感じてくる。

2000年4月8日(土)
土曜日なので授業は無い。上海での生活もようやく軌道に乗り始めた。今日は、半年振りに友達に会いに上海大学に行く。3人の中国人。2人は上海人、1人は福州人。宮崎から持って来たお土産を彼らに渡した。夜は交通大学の中の茶館で中国人の友達とお茶を飲みながら会話を楽しむ。

2000年4月9日(日)
今日は休みで、1人で南京路に行く。太平洋百貨店でサンヨーの電気ポットを買う。値段は200元(2,600円)。

2000年4月10日(月)
午前中は普通に授業に出る。午後は前まで宮崎大学に留学に来ていて、今は交通大学のロボット研究所(机器人研究所)にいる人に挨拶に行く。彼に交通大学の中を案内してもらう。交通大学の学生はかなりエリートで将来は国家を背負って生きるということを教えてくれた。

2000年4月11日(火)
昨日くらいから風邪を引いて体がきつい。どうも寮の中では風邪が流行っているらしい。とりあえず日本から持ってきた風邪薬を飲んだ。

2000年4月12日(水)
体の方はだいぶ良くなった。上海に来て1週間が過ぎた。こちらの生活にはだいぶ慣れ、何人かの中国人、そして日本人の友達ができた。充実した毎日を送っている。こちらには、日本のCDや映画、テレビドラマがCD・VCDの形で売られている。価格は8元〜12元(104〜156円)。海賊版だが、公安は取締りをせずにいる。でも、日本の芸能・文化を中国に広める大切な役割を果たしている。

2000年4月13日(木)
午前中授業を受けて、午後は部屋で2時間昼寝をする。どうも疲れが出ているらしい。今日の夜は久しぶりによく勉強した。それというのも月末に試験があるからだ。合格点は60点以上。

2000年4月14日(金)
上海に来て以来、初めての雨。上海大学の李、梅、郭君の3人と彼らの友達で上海外国語大学で日本語を勉強している黄さんの4人が俺の部屋に遊びに来る。李、梅、郭は去年上海大学に1ヶ月いた時に友達になって、去年日本に帰った後もメールのやりとりを続けていた。いわゆる親友だ。彼らと一緒にご飯を食べ、街の方に遊びに行った。

2000年4月15日(土)
今日は、部屋でのんびりと過ごす。テストも近いので、勉強したあと、昼過ぎに大学の周りを散歩する。繁華街の隅でボロボロの服を着て座り、二胡を引いている老人を見かける。彼の足元には御椀が置いてあり、時折、通りすがりの人が、お金を御椀に入れていく。よく老人の顔を見ると、両目ともつぶれて、なかった。中国は、急速なスピードで発展を遂げて、その繁栄の中で、乞食や都会に出てきた農村のあれ暮れ者などを生み出している。彼らを見ても、僕は決してお金を上げない。こういう人を生み出したのは国家の責任でもある。

2000年4月16日(日)
このところ、体調が思わしくない。体全体がダルイというか何というか…。とりあえず、日本から持って来た薬を飲んで少しは良くなった。やはり異国の生活にまだ慣れていないのだろうか。夕方から4時間くらい試験勉強をした。

2000年4月17日(月) コンタクトレンズを無くす,中国人との友達付き合い
体調はほぼ回復した。午前中の授業を受けた後、午後に一人で浙江中路にコンタクトレンズを作りに行く。先週、路上で右のコンタクトレンズを無くしてしまったのだ。上海はソフトのコンタクトレンズの店はたくさんあるが、ハードのコンタクトレンズを取り扱っている店は少ない。夕方にはandy lauに似た中国人の友達と一緒に交通大学内の食堂”朋友房”で食べる。彼は留学生寮の韓国人に中国語を教えに来ていて、エレベーターの中で偶然、話しているうちに仲良くなった。偶然の出会いでたくさんの中国人の友達ができていく。中国人の友達付き合いと日本人の友達付き合いは大きく異なる。街で見かける中国人は怖い顔をしていて、怒っているようにしか見えない。一方日本人はわりと穏やかな顔で優しいといった感じだ。しかし、中国人は一旦、友達になった後はすごく親切にしてくれる。とにかくいろいろと気にかけて、日本人には持っていない優しさを彼らは持っている。日本人と中国人のどちらが良いとか悪いという話ではなくて、日本人と中国人の違いを理解した上で、中国人と付き合うと、すごく彼らと接しやすいのだ。

2000年4月18日(火)
午前中の授業のあと、午後コンタクトレンズを取りに行く。昨日は行っただけで、まだ作っていなかったからだ。こちらでコンタクトを作るとソフトは200元(2600円)からハードは1200元(15600円)くらいである。ソフトは中国製が多く、ハードは日本製ばかり。今日作ったハードはSEEDが上海にお店を出していて、日本人スタッフがいて安心できるお店だ。日本で買うのに比べればこちらで買った方が圧倒的に安い。ちなみにSEEDは”希徳”「シードゥー」と書く。夜に上海師範大学へ最近留学に来た日本人から電話があり、半年振りの再会を約束した。

2000年4月19日(水) 上海の交通マナー,外文書店・上海書城
明日、リスニングの試験”聴力考試”があるので、午後に外文書店に行く。外文書店は南京東路の近くの福州路にあり、外国語を勉強する人向けの書籍が揃っている。ここでリスニングの対策としてカセットテープを買った。因みにカセットテープは中国語で”磁帯”「ツーダイ」と言う。外文書店から出て歩いていると、交通事故を目撃。同じ方向に進んでいたタクシーとバスが擦りあうようにぶつかっていた。上海の交通マナーを見ていると、事故が起きても不思議ではないが…。

2000年4月20日(木)
朝5時に起きて、試験勉強をする。8:30からリスニング「聴力」の試験を受ける。出来はまあまあ。午後に日本人の友達に会いに上海師範大学へ行く。彼は去年の夏上海大学へ1ヶ月いた時に知り合った友達だ。1週間前に神奈川の大学からこちらへ留学へ来たらしい。交通大学から師範大学へはバスで20分くらい。半年振りに再会を果たし、一緒にご飯を食べた。

2000年4月21日(金)
午前中の授業を受けたあと、午後から復旦大学へ行く。まず上海大学で郭と合流して、一緒に復旦大学へ行く。復旦大学では李と彼の高校時代の同級生で今は復旦で日本語を勉強している金さんという女の子に会う。みんなで一緒に写真を撮ったり、話をしたりして楽しい時を過ごした。夕食は復旦の近くの食堂で食べ、夜は復旦大学内のダンスパーティーに参加。初めてディスコの気分を味わう。夜は地下鉄がもう終わっていたの郭の家に泊めてもらうことに。

2000年4月22日(土)
郭の家に泊まったので、郭の家で朝食を頂く。中国の大学はほとんど全寮制だが、週末は家に帰るみたいで、彼も週末なので上海市内の家にいるのだ。郭は福建省出身で母方の両親が上海で生活している。つまり彼の祖父母が上海にいて、彼の両親は福建省にいるわけだ。福建省からすると上海は外国みたいに思えるらしい。朝食を食べたあと、9:30くらいに交通大学に戻ってきて午後から試験勉強をする。来週の月・火に口語と精読の試験がある。それが終わると1週間の休みに入り、北京から友達が来る事になっている。

2000年4月23日(日)
午前中試験勉強。午後2時間ほど日本人留学生の誕生パーティーに出席。その後、上海レポートのネタを考える。上海はとてもいい天気で、空が澄み切っていて、寮の部屋から浦東のテレビ塔がはっきりと見えた。

2000年4月24日(月)
午前中、会話の試験を受けて、午後は、2時間くらいかけてパソコンで上海レポートを書く。夜はルームメイトが食事を作ってくれて久しぶりに日本食を食べた。いいかげんに中華は飽きてしまって、日本食を食べると、やはり自分は日本人なんだというアイデンティティを感じる。今日はスウェーデン人の学生と友達になり、英語を話せる機会を作れた。留学生寮は世界中から学生が集まっていて、言葉、文化、習慣の違う人々が共に生活している。

2000年4月25日(火)
午前中、精読の試験を受ける。できはまあまあ。やっと3日間の試験が終わった。午後は師範大学の友達(日本人)と一緒にインターネットの契約の手伝いで瑞金路に行く。上海の生活にも慣れてきたので、そろそろ専門の電気電子の勉強でも始めようかと考えた。

2000年4月26日(水)
無錫(ウーシー)出身でこちらの交通大学にいる友達から、お茶の葉をもらう。彼の実家の無錫で1週間前に摘んだばかりの新茶。上海の茶店は偽物の茶葉が多いのでなかなか本物の茶に出会うことがない。彼は本物と偽物の茶葉を一発で見破る。

2000年4月27日(木) ゴールデンウィーク
今日からゴールデンウィーク開始。5月7日まで休みが続く。他の留学生は大学が企画している3泊4日の旅行に参加。僕は北京の友達を待つために行かない。夜に電気電子を専門にしている中国人学生と一緒に酒を飲む。1人は交通大学、1人は上海大学の学生。いろいろな話をする。日本と中国の政治的な違いや過去の歴史的過ちまで話は及んだ。彼らが「日本ではストーカーが日に日に増えてきているね」と話してきた。彼らは中国にもストーカーがいることと年々その数が増えてきている事を教えてくれた。しかし、彼らが言うストーカーというのは政府や会社内の”スパイ”を意味しているらしい。日本のストーカーとは分けが違うのだ。

2000年4月28日(金)
午後から上海大学に李と郭に会いに行く。先週と同様また復旦大学へ行く。今回は彼らの高校時代の同級生を紹介してもらった。2人の女子学生と1人は男。上海外国語大学と同済大学の学生。夜ご飯を復旦大学で食べて、日本と中国の事をいろいろ話す。夜も遅く復旦大学から帰ろうというときに、たくさんの人だかりができている。よく見ると大学の中で映画のロケをしていた。有名な香港俳優だったらしい。結局、地下鉄が終わっていたので、上海大学の学生寮に泊まる事に… 一つの部屋に8個ベッドがあり、せまくて決してきれいとは言えないが、こういう時しか、経験できないだろう。

2000年4月29日(土)
午前9時に上海大学から交通大学に帰り、疲れたので寝る事に。夕方は偶然知り合った交通大学の学生と食事をする。彼は武漢出身で現在、交通大学の1年生。専門はコンピューター(計算机)。いずれ専門の聴講をするので一緒に授業を受けるかもしれない…そんなことを考えながら一緒に食事をした。

2000年4月30日(日) 中国で自転車に乗る
午前中は、中国語の勉強をした後、FMに送る上海レポートを書いてメールする。夜は昨日の武漢の友達と一緒にご飯を食べる。彼は今日試験が終わったので明日武漢に帰るらしい。自転車を2台持っていて、其のうちの1台を使わないからと250元(3,200円)で売ってくれた。変速がついている自転車でこの種の自転車はこの金額では売っていないだろう。前から自転車が欲しかったので、とても助かった。しかし、中国人の自転車の群れの中で一緒になって自転車をこぐのはまだ慣れていないので、ちょっと大変かもしれない。

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